感情と理性について思ったこと
こんにちは、トモヤです。
突然ですが質問です。ちょっとだけですが暇ならお付き合いください。
デケデン
Q「自転車に乗っているあなたは、駐輪場を探しています。ですがどこにも見当たりません。短時間だけなので近くのビルの下に止めることにしました。あなたなら次の選択肢のうちどのビルに停めますか?」
- 「自転車放置禁止」と看板のあるビル
- 「ここは自転車捨場」と看板のあるビル
- 何も看板の無いビル
この三択であれば、ほとんどの人は3を選ぶでしょう。
では、1か2の二択ならどうでしょうか?
どちらも望ましくはないでしょうが、1を選ぶ人が多いと思います。
最後に、1か3なら?
間違いなく3ですよね。
順位を付けるとしたら、選ばれる順に3→1→2。つまり「注意無し」→「禁止」「捨場」の順になります。
逆にいえば、2を選んだオーナーは賢いということですね。自分のビルを選ばせないために狙ってこの書き方をしたんです。
それではなぜ、「捨場」と書くと選ばれないのでしよう?
あなたは最初の三択を選ぶときに、
「本当に捨てられるかもしれない」と理性的な判断をしたかもしれません。
ですが、こういった質問形式でなければ
「なんとなく嫌」という程度で済ませてしまって深く考えなかったかもしれません。
理性と直感(感情)。
人がどちらで判断するものなのかというのはいま僕が興味を持っているテーマなのですが、この問題でも同じです。
さて、行動経済学にはナッジ(Nudge)という言葉が有ります。
本来の英語の意味は肘で小突くというものなのですが、行動経済学の場合は「意識的に人の選択を誘導すること」という意味になります。
後ろから小突いて気付かせてあげることで狙った方へ向かわせるイメージですね。
さっきの自転車置き場の話も、「捨てる」ということろを分かりやすく強調することで、選択肢から外れることを狙ったナッジの例と言えます。
僕はこのナッジが成立することからも、基本的に人は感情(わかりやすい直感)で判断する生き物ではないかと考えています。
日常生活のなかでも思い当たる節はたくさん有ります。
例えば仕事。
もちろんお金のために理性的に選んだ道として働くわけですが、普段は怒られないために働いていませんか?
同じように勉強も、将来のためというよりは親や教師に目をつけられないための勉強にはなってませんか?
考えてみると、目標を決めるのが理性で実際に行動するために必要なのが感情のようにも思えますね。
感情と理性についての堀内進之介さんの『感情で釣られる人々 なぜ理性は負け続けるのか』という本を読んで面白かったので、読んだ内容や考えたことをまとめてみました。
この本は内容も面白かったのですが、あとがきにも共感できた点があったので、最後に紹介します。
それは市場で求められる「解りやすさ」を追求しすぎた結果、どれもが「情報」として同列に処理されてしまうのではないかということです。
この考えは、何気なくニュースを見ていた僕にとっては衝撃的な内容でした。
この本から色々な気付きを得られました。
気になった方は一度読んでみてください。