インプットとアウトプット
こんにちは。トモヤです。
「やった側は覚えてないけどやられた側はずっと覚えている。」
小学生ぐらいの時にあった道徳の授業とかでよく先生が言ってた気がします。
本当にそうなんですけど、僕はこれがやられた側に寄った意見なんだと思ってます。
やられた側はやられたことの積み重ね(主観的には環境)から価値観を作っていく。その人の価値観の根幹となるものだから、主観として印象的な物語として記憶しているし、鮮明に思い出せる。
また、その価値観は自身の持っていない価値観によるもので、意識させられたものである。
対してやった側は、自身の価値観に基づいて無意識に判断した結果を相手に放つ。自然と出てきたものを出しているだけだから、記憶できる物語を作り出せない。
相手の感情は想像することしかできません。
だから「あんなことしちゃったな…」と意識しなければ相手との関係から物語を作ることはなく忘れてしまう。
僕はこう思っています。
伝わりづらいかもしれませんが笑
というか日曜の朝からなに考えとんねんって話ですね。
昨日の時雨の話を考えてたら、"内から出てくる"って面白いことだなと思ったので、「自分と相手の関係」を言葉にしてみました。
固い話して申し訳ないですが、何が言いたかったかと言うと、
- 人は物語(言葉)で考え覚える生き物であり、意識しないことは忘れてしまう。
- インプットは相手から与えられる(意識させられる)ものなので、目的はなくとも覚えてしまう。
- アウトプットは自分から与えるもので、意識していなかったこと(目的がなければ)知覚できない。
- アウトプットした側はインプットした側から思いもしないところに反応される。
です。
ここまで読んでくださり有難うございます。